返事が無い

太郎!太郎!と何度よんでも返事がない時がありました。

このときというのは強烈な、そして何とも言えない気持ち悪い感覚が頭をよぎります。

もしかしたら、どこかでなくなっているのではないかと思ったのです。

家の中で飼っているといえども、どこに行っているのかわからない。

でも、名前を呼べば必ずワンといってくれるので、絶対にどこかにいてくれているわけです。

しかしその時にに¥返事がなければ、きっと太郎になにかがあったにちがいないという事がわかります。結果論からいいますと、太郎には何もありませんでした。

命も別条も無く、元気に過ごしていました。これには偶然が重なったのです。

私の声がたまたま太郎の耳に届きにくいところにいたということと、私自身が太郎の返事をきいてもわからないようなところにいたっていうのが重なったからです。

でもこれは今回よかったのですが、これが真実であることを仮定すると、いつ何時不幸ごとがあってもおかしくないんだということを再確認した一日でした。

自問自答

夫の写真を見るたびに涙が出ます。また、太郎を見ても涙が出てきます。

太郎ももうお歳。でも、こうして私のそばで生きています。けなげな目で見られると、慰められているというか、ありがたいのひとことです。

めをつぶって寝ていると、もしかしたら死んでいるのではないかと思っておなかを見ると動いているのでほっとする自分がいます。

ペットロス。

この言葉が重いです。

ペットロスの前のロス感がもう強烈です。時間が、日にち薬が私にはまだまだ必要です。「夫は出張で出かけている」と割り切りたい。でも、いないんですもの。

もうあえないんですもの。

どうしたらいいのでしょうか。

死んでからの手続きが大変でばたばたしていますが、これがすめばぽっかりと心に空いた穴をどうすべきかかんがえなければいけませんね。

迫るペットロスを、しっかりと対応するためにも、対策を立てていきたいと思っています。

私がナゼここにいるんだろうと自問自答しているばかりです。

幸せとおもうとき

今までは普通の生活をしていました。夫と一緒にご飯を食べている。犬もそれに合わせる。

当たり前のことなのですが、これが本当に何とも言えない幸せだったんだなと今では思います。

太郎もいつもと同じようにしているのですが、どこかしらで私に遠慮しているようです。

おそらく夫がいなくなったという事の辛さを太郎はわかってるのだと思います。

しかし太郎ももういいお年なので、自分のしたいことをすればいいと私自身思っています。

気を使ってくれなくてもいいのですが、いぬって本当にありがたいと感じます。

この前も書きましたが、ペットロスになりうることもあります。

本当に感じます。

このこがいなければと思えば思うほド辛さがましてきます。

これならば最初から太郎をかわなければよかったと思うときもありました。

しかし、いぬをかっていなければ今目の前にある夫の食器もみることすらもつらくてできないでしょう。

それを太郎がカバーしてくれている。

本当にありがたい存在だと感謝しています。

夫が旅立って

先日夫が亡くなりました。あとは太郎のみです。太郎はコーギーです。

私のそばから離れようとしません。そして私も太郎のそばにすっといたいと思っています。太郎は人間で言えば私の主人と同じくらいではないでしょうか。

その主人が旅立っていったということは太郎もいつか同じ運命になるのではないかと思うくらい最近とても寂しく感じます。この子がいなくなったと思うととてもではありませんが、いきていけそうではありません。

夫がいなくなってつらいのです。しかし、考えなければならないのは、これからの老後とかではなく、この子がいなくなった時のペットロスになること。

それが1番私にとっては気がかりですね。このこよりも早くなくなることを希望しますが、そうなると、このこはたった一人ぽっちになってしまいます。

でもこの子が先に亡くなると、私はおそらく生きている気持ちがなくなります。ですので今からどうするべきなのかということを本当に考えていかなければならないと思っているのです。

今がとても辛いのです。わすれなければならない存在とこれから何とかしなければならないという事とが重なるほどこわいものはありませんから。