山の水以外にも

山から採ってきた水ばかりをすべてがすべて与えているわけではありません.

時には家の水道水という形で与えることもあります.
それって前に書いた事と矛盾しているんじゃないの???と思われるかもしれませんね.

厳密に言えば矛盾しているかもしれませんが、実は私のところの水道水には機械がついているんです.

その機械は何かといいますと、水素水にしてくれる機械です.
酸化されたものを取り除くためにも、やっぱり水素水は欠かせないと思います.

気休めかもしれませんが、少しでもワンちゃんのためになればと思い、

わざわざ大金をはたいて買いました.

効果があるかどうかまでわかりませんが普通の水とは違いますものね.

とにもかくにも、水素水と山の水とを交互に与えるようにしてからは、何だか元気になっている気がします.どれが実際に効果が発揮されているかわかりませんが、やっぱり嬉しいことですよね。

やれることを精一杯やってあげようと思っています。

水へのこだわり

私のわんちゃんにとって大切なことそれはもちろんたべものではあるんだけど、
それだけでなくて、私にとってはただ単に気休めなのかもしれませんが、一つだけすごくこだわっているものがあるんです.

それはお水です.実は私は、少し離れたところに山から湧き出る水があるのですが、そこまでわざわざ山水をくみとってきています。

年老いた犬のためというのもありますが、私の健康のためにもよいわけです。でもお水というのは本当に重たくて、かりにペットボトルに入れて持ち帰ってきたとしても、少なからず数キロになるわけですからとても重たくて大変です.

でもそれを与えるとペロペロと舐めてくれて、おいしいというしぐさで表してくれるのは本当にありがたいです.少しでもミネラルがあるもので、塩素の含んでいないものを与えたいという私の少なからず気持ちです.

最後の最後までとにかく幸せに生きてほしいです。

おいしい水を飲んで今日も元気で生きています。

柔らかいおかゆのような。

おかゆさんのような

やわらかく食べやすくなっている

ドッグフードを見つけました。

私の推測ですが、このドッグフードを考え出した人というのは

おそらく同じように老犬を飼っている方ではないか、または飼っていたと思うのです。

単純に商売として売り出したいというのではなく、

少しでもと世話をしている人によりそうことができるようにという

願いを込めている、そんな気がします。

年をとっていくとガツガツ食べるわけではありません。

歯も弱っている。

食べ物を飲み込む力も弱っていると思います。

だからこそゆっくりと味わって食べているように見えるわけです。

おいしいかどうかわかりません。

でも、食事を取っている限りは生きているという事。

それだけでも私たちは安心しますものね。

彼らも本当に嬉しそうに食べている。

それだけでも十分だと私は思います。

このドッグフードには本当に恐れ入ります。

ありがとうございますとあったことのない人に

感謝したいのです。

たかが知れているからこそ。

できる限りのことをやってあげたい。

でも、老犬に対してできることってたかがしれている。

私自身も年を重ねているのですから、やることに対して限界があります。

そして今までお互い若いときにやってきたこと、

その思い出が時には残酷に感じるときがあります。

あの時はできていたのに。。。

あの時はしてあげられたのに・・・。
そういった思い出が、時にはナイフのように

突き刺さるときがあります。

しかし今ではお互い優しくなったような気がします。

お互い声をかけることだけでも、何だかとてもいとおしい。

そういう感覚に陥ることができたのは、やっぱりお互いが年をとったから。

ご飯をあげるにしても、お水をあげるにしても、すべてがいとおしい。

その気持ちがずっと続けばいいと心から思っています。

私が出来る事は知れている。

だからこそ、へんに力まず等身大でやれるような気がするのです。

身近なことから一つずつ。

愛犬に感謝しながら。

今までのお礼をこめて丁寧に。

リストアップ

ペットロスについて終活ではありませんが、自分がどういう人生を送ろうかそして、送ったかという事を考えてみたときにこの子の将来のことを考えると、きちんと整理していくべきだと考えるようになりました。

先のことばっかり考えると、なかなか手につかないわけですが、今自分がやるべきことを一つ一つをリストアップすることによって、それを一つ一つ解決していくことがこの子の将来に繋がっていくということに気づきました。

仮に私が先に亡くなっても、この子に迷惑かけることがないように、そしてこの子が亡くなった時に、ペットロスにならないためにどうすべきかという事をリストアップしておきました。

こうすることによって精神的にもかなりたすかるようにしてあるのです。

これが1番おおきなことと思います。命はいつなくなるかわかりませんもの。

だからこそできるときに、リストアップして、しっかりと対策を立てることが肝心だということなのです。今出来ることからやっていきます。

財産はどこに

最近では相続やそういった形で自分のペットに全財産を与えたいと思っている人も多いようです。

もちろん法律的には厳しいということもわかっています。ペットにお金を渡すわけにはいきませんものね。

猫や犬を扶養してくれる人のためにお金を残すわけですが、なかなかそれも本当のところ、実行してくれるのかどうかわかりません。なぜなら、うちの犬が若ければそれなりの飼い主の考え方も定着することもあるかもしれませんが、いかんせんこれだけとしをとっていると、代わりにkってあげたいという気持ちはなかなかならないのではないでしょうか。昔からかかわっていたとかでないと気持ちも入らないように思います。

そうなると老人ホームではありませんが、犬たちを面倒みてくれるようなところがあれば一番いいなと思いますが、処分だけされるようなことはないようにしたいと考えます。

本当にペットロスのことを考えると、涙しか出てきません。

対策はたてていても・・・。

先日、たまたま市政だよりを読んでいだ時にペットロス日ならないことについて講演会がありましたが、そこに私も参加してみることにしました。

ここに集まる人たちは、もちろんペットをかっている方で、しかもどちらかというとかなり高齢の犬や猫を飼っている方でした。

講演会の内容よりも、のちのちの質疑応答時に客席から飛んでくる質問は本当に切羽詰っているような感覚を受けましたし、言葉にもとても重みを感じられました。

皆さんやっぱりペットロスの怖さや現実にペットロスを感じている方の話をモロに聞くことができたわけで、私もいずれ訪れるこのペットロスをどのように対処していいのかということをここで勉強することができました。

結論から申しますと、ペットロスに対する対策を考えれば考えるほど現実逃避したくなります。それが正直な気持ちだと思います。

いずれ訪れることなのだということはわかっていても本当になかなか決断つけられないというのが正直なところだと思います。

年齢を感じないからこそ

子供の時の姿を見ると、今の姿との違いは何かあまり感じられません。

だって犬というのは、若い時も子供の時も大人になってからも歳をとった時からもそれほど差がないのです。

もしこれが動画で映していたならば、ゆっくり歩くようになったなとか食事の量が減ったなあなどわかるのですが、写真だけではほとんどわかりません。

若い時の方ははつらつな顔をしているとか。年をとった時にはお年寄りのかんじがあるとかわかると言えるのですが、それほど差がないというのがかえってこちらにとっては辛いんですよね。

主人の写真を見るとやっぱり年をとったなと思いますし、私もいずれ天国に行くと考えた時には、何も未練があるというわけではありません。

しかしこの子をみているとこのまま置いておいて大丈夫なのか?私が死んでしまって大丈夫なのか。

などと思ってしまいます。しかし、実年齢は私と比べると、年をとっているってことになりますとても複雑な心境です。

この子よりも早くは死ねませんね。

ロスになる前に

太郎は定期的に病院に通っています。悪いところがあるというのではありません。健康診断がてらにみてもらっているんです。

そうすることによって私自身が安心して過ごせるという意味も込めています。

幸いにも悪いところがないので良いのですが、先生いわく「悪いところがないということはぽっくりいくという可能性もある。だから気をつけて欲しい」と言われました。

先生はおそらく私を驚かせるために言っているのではなく、余りにも私がたろうに依存しているからこそ、できるだけ客観的に見せるためにそのような発言をしてくれている、ということがわかります。

ここでわかってくることといえば、ペットロスにならないためにできるだけ長生きしてもらおうと努力することよりも、今その生きている時に自分がどうやって対処すればいいのかという事を、あらゆる角度から知っておかなければならないということです。

どんなに頑張っても命には限界があります。

だからこそ、覚悟しておかなければならないという事と、そのために動いて最善策はあるのかということをしっかりと勉強しておかなければならないのです。

返事が無い

太郎!太郎!と何度よんでも返事がない時がありました。

このときというのは強烈な、そして何とも言えない気持ち悪い感覚が頭をよぎります。

もしかしたら、どこかでなくなっているのではないかと思ったのです。

家の中で飼っているといえども、どこに行っているのかわからない。

でも、名前を呼べば必ずワンといってくれるので、絶対にどこかにいてくれているわけです。

しかしその時にに¥返事がなければ、きっと太郎になにかがあったにちがいないという事がわかります。結果論からいいますと、太郎には何もありませんでした。

命も別条も無く、元気に過ごしていました。これには偶然が重なったのです。

私の声がたまたま太郎の耳に届きにくいところにいたということと、私自身が太郎の返事をきいてもわからないようなところにいたっていうのが重なったからです。

でもこれは今回よかったのですが、これが真実であることを仮定すると、いつ何時不幸ごとがあってもおかしくないんだということを再確認した一日でした。